(右)木下謙一
より身近になった3Dプリンターという技術
山口「3Dプリンターは、もともと1980年代から研究が行われていて、90年ぐらいにはプリンターが商品になり、それが産業用のラピットプロトタイピングといって、専門的なプロダクトの試作や見本を作るものだったんですね。それから2000年ぐらいになると技術がさらに進化して、その後、実際の製品となる部品などを作れるようになったわけです」
木下「ラナグループはWebデザインから始まりましたが、今回のプロジェクトのようにテクノロジーとの掛け合わせも然り、様々な領域でクリエイティブがリードし、デジタルテクノロジーがドリブンするようなデザインが、いま僕らが得意とするデザインの在り方です。昨今、デザインはより包括的で広域になっています。僕は92年に美術大学のデザイン科を卒業したのですが、もともと工業デザインが好きで、特に車のデザインを手がけたいという気持ちもあったので、山口さんがおっしゃったような3Dプリンターの変遷は、常に気にしながら追っていました。工業デザインの手法はこれまで、スケッチを描いたりと2次元で構想したものを、作るときは3次元に次元をジャンプする必要があったので、最終的に失敗する例をしばしば見てきました。当時から最終成果物に近いものをデザイナーが直接作れればと思っていたので、CGを使ったデザインを追求することからキャリアをスタートしました」
山口はテクノロジー、木下はデザインという世界で、3Dというものの魅力を感じ続けていたという。もちろんコンピューター内のソフトウェアでは、3Dを具現化することはできたが、実際に出力ができる3Dプリンターの出現は、かなり大きなインパクトがあった。しかもここ7〜8年で、それは驚くほど身近になったという。
山口「世界的にも2012年頃がターニングポイントですね。そのあたりで一般化したんです。なぜかというと、その時点で基本特許がなくなり、安価な3Dプリンターが世に出てきたから。それまで数百万もしていたものが、10万円代で買えるものまで登場するようになった。どんどん新しい方式も生まれて多様化しましたね」
木下「自分もその価格の変化には驚きました。かつては自らデザインやプロダクト関係の企業を取材したり、記事を執筆したりしていた時代があったんですが、今回のジオラマにも使用した紫外線硬化樹脂のプリンターは非常に高価だったのを覚えています。まだガラケーしかなかった時代は、その紫外線硬化樹脂のプリンターを何台も持っていた企業が、携帯電話の試作を一手に引き受けていた時代がありました。2012〜2013年で3Dプリンターブームが起こって、状況は一変しましたよね」
山口「ちょうど(元ワイアード編集長の)クリス・アンダーソン氏が『MAKERS [メイカーズ] 21世紀の産業革命が始まる』という本を書いたのも2012年です。これは、3Dプリンターを使ったオープンソースデザインなどをはじめとした、製造業のパラダイムシフトについて書かれたもの。私が『インクジェット時代がきた!』という書籍で、3Dプリンターを紹介したのも2012年です。それから3Dプリンターというニッチなところでしか使われない技術が、テレビでも取り上げられるようになりました」
木下「90年代〜2000年代初頭は、みんながコンピューターの使い方を模索していたけれど、2010年代からはあらゆる面で著しく民生化が進んだという感じがします。デバイスの値段が一気に下がって、スマホが出てきたのもそういう事情があると思いますね」